と書いてもそれが前向きであるかどうかは判らない。
自分が壊れて心療内科通いの日々に陥るまでにどのような労働状況に置かれていたのか。
それを具体的に洗い出してみようと思っただけのこと。

・休出4日やったら内2日は無かったことになった。
・休出明けの月曜日、出社した後働いて帰宅したら木曜日になっていた。
・12時の終電に乗り、帰宅後2:00~6:00までIRCチャットを使いながら、客先に入れるファイルを作ってリハーサル。しかる後出社、客先へ行きファイル入れ替え。帰社して試験環境構築。無論帰宅していた時間はサビ残。
・12時の終電(ry、朝7:00まで客先向けファイル作成、以後気絶。同20:00異常を聞きつけた職場の同僚が自宅に押しかける騒ぎに。結局、深夜作業はサビ残に気絶していた時間は有給で処理された。
・トラブル発生の連絡を受け、解析を翌日に行う旨の報告をお客さんに説明後、IRCチャットに報告後、12時の終電(ry、就寝間際にリーダーから電話、いままで聞いたこともない保守契約の話を持ち出され協力会社へトラブル解析依頼の電話をかけさせられる。無論自腹&サビ残。
・試験時間を分割し、昼間帯と夜間帯にわけ、担当の時間も割り振られたはずが、試験結果引継ぎや環境構築、最新バージョンのファイル作成等で時間を取られ、
結局20時間越えの労働時間。
・平時でも10:00~24:00が定時。
・大阪に出張、朝5:00の列車に乗り日帰りで環境構築を行い帰社する快挙を達成する。

こんなところか。
こんな環境で丸2年。
私の心は良く持ってくれたと思う。
結局壊れてしまったけれど。

2008/01/25:コメントなしろじ

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